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第20章 「寧波邦」とピジン語

「寧波邦」に対する研究によって、大きな成功を収めた「寧波邦」の殆どが買弁(コンプラドーる)に携わったことがあるという。これは「寧波邦」を勝利に導く重要な原因の一つであろう。買弁を通して初めて、「寧波邦」は世界と緊密に結びつき、原始資本の蓄積と商売経験を積み重ねることができるようになった。

もともと「買弁」ということが非常に悪名の高い反動的な仕事であるが、買弁する人たちを分けて考えたほうがいいと思われる。なぜなら、中国の民族資産階級の多数が買弁から転化してきたので、「寧波邦」もこの中の一族である。

現代の言葉で買弁を言うと代理人のことである。高級サラリーマンのような役である。ところが、「寧波邦」の文盲たちがどうやって買弁になったのであろうか。今現在、例え大学生や院生であるといっても必ずしも海外大手企業のサラリーマンになるわけがないのであろう。文盲や半文盲なんて買弁になるものか。真っ先に目立つのはお互いのコミュニケーションの問題であろう。浙江省東部の農村を出て、寧波にバイトに行く人たちがどうやって外国人と交流したのか。泰昌祥通関行と泰昌祥汽船会社を創立した顧宗瑞氏に残されたテープによると、「われわれが中国の本を少しだけ読んだが、外国の本を読んだことが全然ない。ただ少しのピジン語を身に付けた。」と顧宗瑞氏がこう言った。

この一言からみると、「寧波邦」はピジン語をツールとして、外国人と商売したり、付き合ったりして家を富ますことが明らかになった。

ピジン語とは

『ピジン』が約100年前に無くなった小川の名前である。今、上海の黄浦江トンネルはつまり元のピジンの川道に沿って造った。1916年にその小川が埋められて愛多亜路、つまり今の延安路になった。

その次、ピジンが両地区(旧上海公共租界とフランス租界)の境をなす小川である。つまり東洋と西洋の境をなす小川である。川のこちらは「華界」、岸の向こう側は「夷場」と呼ばれるから、ピジンを租界や洋場に見做された。当時の上海が租界と契約した多くの協定書さえ『ピジン』で名付けられ、『ピジン○○規約』と呼ばれた。すると、ピジンはだんだん小川の名前から中国の植民地半植民地史へ、中国と西洋の交流史へ踏み入った。

現代では、ピジンという川道と租界が全て消えてしまったが、ピジン語が残ってきた。それで、ピジンは最初の真の川から東西洋の境に変わったうえで言語の川にもなったといっても言い過ぎではなかろう。ここで言ったピジンは一つの語種として扱って、ピジン語といわれるが、日常会話では『ピジン』という。

ご存知のように、中国の明?清時代には長い間鎖国政策が行われてきた。外国人はもちろん、中国人すら海に出ることを禁止され、外国人と付き合うことが許されなかった。しかし、こんな人為的な鎖国がきっと敗れるに決まっている。中国の市場は資本主義国家に入ったヨーロッパ諸国にとっくに狙われていた。一方、外国の先進的な技術と商品も必ず中国人の目を引き付けるに違いない。例えば、ヨーロッパの布が地元の布より快適であるし安価であった。ランプも中国のより明るいし便利である。朝廷が外国と貿易することを禁止するなら、国民はこっそりと外国と通商をするようになった。昔、寧波と舟山の間にある双嶼港が非常に賑やかな密輸基地である。

言葉が人と人との間に付き合うに欠かないツールである。ちょっと考えてみれば、ヨーロッパの商船と商人が突然に中国に飛び込んで、彼らは全く中国語が分からなくて、中国の人々も外国人の言葉を知らなかった。では、彼らがどうやって交流していたのか。

すると、機運に応じてスペシャルな言葉が現れた。「両点の間に直線が一番短い」と言うように、交流しようとする人の間にもそうであろう。違う母国語を扱う人々が集まると、交流するべく最も気軽で素早い方法は相手の理解できる単語を、相手に理解される文法を使って、基本的な意味を分からせるうえで、交流を図ることができるようになる。こんな方法に基づいて、ある混合語が作り出された。以前の研究によると、「混合語」という現象はただ中国人とヨーロッパ人との間のみ現れたものではなく、二種あるいは多種の言語接触の時に必ず生まれる普遍的な現象であると考えられる。貿易のために、ロシアとノルウェー、日本とヨーロッパの間にも「混合語」をツールとして交流し合ったことがある。

ヨーロッパの人々はこのような混合語を『Pidgin English』或いは『Chinese Pigeon English』と名付けた。

中国人は音訳法で「Pidgin」を「皮軟」或いは「別琴」に訳した。これは所謂「皮軟語」「別琴英語」の由来である。清代晩期に常州人の楊勛は『別琴竹枝詞並序』に「別琴」の二字は中国人が作った言葉で、貿易、事柄との意味であるが、イギリス人はそれをもって、杜撰英語の別名として、極めて下品な言葉であると思われたと言う。

また、pidginとpigeon(鳩)の発音が同じなので、「鳩英語」とも呼ばれた。

中国が西洋と貿易を行う歴史からみると、マカオ?ポルトガル語(マカオの商人に地元の方言で改造されたポルトガル語)をはじめ、ピジン語がだんだん出てきたことが分かった。

ピジン語の起源と発展に従って、ピジン語の移り変わりが中国の海外貿易歴史の変遷と関係はないとは言えない。ポルトガルがヨーロッパ諸国の中で最初に中国と貿易を行った国で、特に1557年にマカオを植民地として占領されてから18世紀まで他のヨーロッパ諸国より優越な地位に占拠したことになった。すると、『マカオ?ポルトガル語』が時運に応じて現れた。しかし、1637年6月イギリスの海軍大尉ジョン?ウェッデルが4隻の武装商船を統率して珠江に侵入することをきっかけにして、イギリスがポルトガルを乗り越え、だんだんポルトガルの貿易地位を取って代わった。清朝政府は乾隆22年(1757年)に広州以外の港を封鎖し、特別の許可を与えられた「十三行」という商売組織に対外貿易を任せたことになっている。所謂、「一口通商時代」(一つの港で通商する時代)に足を踏み入れた。一口通商時代の到来に従って、中国の貿易センターになった広州では、広州弁によって創られた『広州英語』が生まれた。その後、鴉片戦争で中国の鎖国政策が一口通商の代わりに五口通商(五つの港で通商する)が歴史にデビューした。この件のお陰で、上海が広州の地位を取って代わり、急速に成長して中国の貿易センターになったわけである。一連の事件に伴って、現代のビジネスグループの一つ~「寧波邦」が登場した。そこで、新たな言葉として現れた『ピジン語』が中国に百年ぐらい影響を与えた。「マカオ?ポルトガル語」が「広州英語」へ、「広州英語」が「ピジン語」への移り替わりが、まさに中国人の英語を勉強する順路図ではないかと考えられる。それに、この順路図を中国の近代貿易史と見做すこともできる。つまり、「マカオ時代」「一口通商時代」、「五口通商時代」の変遷である。

ピジン語という言葉に台湾の李敖は、「Pigeon-English」は「Pidgin-English」とも言い、ピジン語とも言える。ピジンは上海のある地域の地名で、最初にイギリス人と商売する中国人は英語が下手糞なので、意味や文法の通じない中国語的英語を作り出す言葉であると定義した。

この定義はまだ不完全であると思う。なぜなら、ピジン語の最も目立つ特徴が寧波弁に基づく言葉であるということが指摘されていなかった。そうすると、寧波人と大きな結びつきがないとは言えないであろう。

では、ピジン語がいったいどんな言葉であろうか。

清代末の姚公鶴は『上海閑話』に「ピジン語を操る人たちは、英語の音に中国語の文法を混ぜて話し合う」と書いてある。徐珂も『清稗類鈔』に「ピジン語を操る人は、英語の音に中国語の文法を混ぜて話し合う……ピジン語は英語でもないし、中国語でもない特別な言葉である」と言った。

というと、どこが特別なのか。簡単にいえば、英語の単語に中国の文法を加えればピジン語である。例えば、中国のある商人がヨーロッパのある商人と出会うとき、挨拶をせざるを得ないであろう。「お久しぶりです」という言葉がピジン語で言えば、

“Long time no see you”

长时间没看见你

英語の正しい言い方は「Do not see you for a long time.」である。その英語の文を逐字訳すると、次のようになる。

Do not see

不看见

you for a long time.

你于一个长时间

こんな風に比較すると、理解するに難くないであろう。ピジン語は一つの中国語単語に当たる一つの英語単語を使って文法構造の変わらないまま、訳してきた言葉である。当時の中国人に対して、こんな方法が最も使いやすく、文明化の低い民衆に認められやすい方法であると考えられる。従って、1対1に単語だけ英語に転換することはピジン語のもう一つの特徴であろう。公式で表現すると、中国語文法+英語単語=ピジン語。

これ以外、ピジン語の中で、他の特徴も持っている。それは寧波弁で音声を表記するという特徴である。そうすると、単語を覚えやすくなって、「現象記憶法」と「快楽教育法」の精粋に相当に相応しいのではないか。以下はピジン語で作られた民謡である。

「来る」は「康姆」(come)、「行く」は「狗」(go)

「はい」は「也司」(yes)、「拿」(no)ではない

「一ドル」は「混淘箩」(one dollar)

「二十四」は「吞的福」(twenty four)

「外国の舟」は「水底磨」(steamer)

「そう、そう」は「沙咸鱼沙」(so and so)

「洋行の買弁」は「讲白拿」(comprador)

「お座りなさい」は「雪堂雪堂」(sit down)”

「自分の兄弟」は「勃拉茶」(brother)

「父」は「发茶」(father)、「母」は「卖茶」(mother)

息子は学校で「搏克」(book)を読み、各科目も「哥达」(good)であるが、たである「英格来西」(English)は落ちた。……

以上の民謡は寧波人と上海人のほとんどが知っており、特に地元の寧波弁で話したら非常に生き生きとしてリズミカルである。上海の劇場俳優がこの民謡を持って、観衆を笑わせることは当たり前であろう。

方言によって音声を表記することは寧波人が創造したものでもないが、前に述べた「マカオ?ポルトガル語」と「広州英語」もこう言う方法で作り出した言語である。ただし、使われたのはマカオ弁と広州弁である。範文瀾に「目を開けて世界を見た初めての人」と称えられた林則徐は広州で鴉片禁止論を首唱した。その間、林則徐は英語を勉強したことがあり、その習い方も音声を表記するのである。林則徐の部下である陳徳培は『洋事雑録』に林則徐が漢字で英語の単語に発音を付けて勉強したことを書いた。例えば、お正月は「占玉華利」で、十二月は「地心ba(罒冠に去)」(December)である。また、1から12の発音には、林則徐は「温、都、地厘、和、輝、昔土、西問、噎、年、顛、林、打拉」と付けてあった。

寧波弁で話さなければならないのはピジン語の特徴であるといってもいいのであろう。例えば前述の民謡を歌うなら、必ず寧波弁で歌う必要がある。たとえ寧波弁に似ている上海弁で話しても微妙な感じが出てくるに違いない。

ピジン語は全く英語の文法に基づいていないにもかかわらず、ヨーロッパ人に理解できることは不思議ではない。笑い話を二つ述べよう。

ある外国人の主人が家に帰って、壊れた窓ガラスを見て、召使に聞いた。召使はピジン語で流暢に“inside(家の中)は吱吱吱、outside(外)は苗(口へんに苗)、glass(ガラス)は克郎当”と答えた。その外国人は笑って、なんと猫がネズミを捕る時にガラスが壊れたと分かった。

また、ある外国のボスが中国の運転者に映画のチケットを買ってもらおうとしたが、しかし入手できずに帰ってきた。運転手はピジン語で「Man mountain man sea, today no see, tomorrow see, tomorrow see, same see」とボスに言った。ボスはその意味が分かった。つまり、人が山や海のように多すぎて、今日は見られなくなってしまったが、明日同じ映画を見ようという意味である。ピジン語が話しやすいし、覚えられやすいし、ユーモアにイキイキとしているから、中国人にとって、とても人気のある英語を勉強する近道になったわけである。

寧波弁が中国語の中の呉語系に属しているが、同じ語系の蘇州弁と大いに違いがある。蘇州弁は優しく、寧波弁は硬いとよく言われているように、寧波弁のほうは入声という四声の一つと巻き舌音を持っていないので、寧波弁に輸入した言語が郷に入っては郷に従わなくてはならなくなってしまった。ピジン語の特色は次の方面に現れている。

1.寧波弁の音節が主に二つあるいは三つに分けることなので、輸入語の中でも二三音節の類似音で表わすことが多い。

例:咖啡(英語coffee音訳、コーヒー)

蘇打(英語soda音訳、ソーダ)

土司(英語toast音訳、トースト)

色拉(英語salad音訳、サラダ)

摩登(英語modern音訳、モダン)

浪漫(英語romantic音訳、ロマンチック)

配求(英語page音訳,ページ)

馬達(英語motor音訳,モータ)

巴士(英語bus音訳,バス)

的士(英語taxi音訳,タクシー)

卡通(英語cartoon音訳,アニメ)

吉他(英語guitar音訳、ギター)

派対(英語party音訳、パーティー)

音三(英語inside音訳、インサイド)

奥三(英語outside音訳、アウトサイド)

哈夫(英語half音訳、ハーフ)

拜拜(英語bye-bye音訳、バイバイ)

維他命(英語vitamin音訳、ビタミン)

巧克力(英語chocolate音訳、チョコレット)

三明治(英語sandwich音訳、サンドイッチ)

白蘭地(英語brandy音訳、ブランデー)

太白果(英語tobacco音訳、タバコ)

司的克(英語stick音訳、ストック)

司必霊(英語spring音訳、スプリン)

司打塔(英語starter音訳、スターター)

馬賽克(英語mask音訳、モザイク)

水門汀(英語cement音訳、セメント)

麦克風(英語microphone音訳、マイク)

徳立風(英語telephone音訳、テレフン)

司衛鉄(英語sweater音訳、スウィター)

開司米(英語cashmere音訳、カシミヤ)

盖士林(英語gasoline音訳、ガソリン)

凡士林(英語Vaseline音訳、ワセリン)

模特児(英語model音訳、モデル)

奥爾曼(英語old-man音訳、お年寄さん)

拿摩温(英語member one音訳、職工頭)

拉斯克(英語last音译、ラスター)

梵華鈴(英語violin音訳、ブァイオリン)

薩克斯(英語saxophone音訳、サキソホン)

勃克斯(英語boxing音訳、ボクシング)

華爾茲(英語waltz音訳、ワルシ)

脱口秀(英語talk-show音訳、トークショー)

嘉年華(英語carnival音訳、カーニバル)

羅曼史(英語romance音訳、ロマンス)

2.寧波弁の単音節語幹の前あるいは後に輸入語の音訳当て字を加え、中国と西洋語の折衷のため、多音節語を作ることが多い。

例:啤酒(啤、英語beer音訳、ビール)

碟片(碟、英語disc、ディスク)

茄克衫(茄克、英語jacket、ジャケット)

T恤衫(恤衫、英語T-shirt音訳、ティーシャツ)

雪茄烟(雪茄、英語cigar音訳、シガー)

沙丁魚(沙丁、英語sardine音訳、イワシ)

扑克牌(扑克、英語poker音訳、トランプ)

吉普車(吉普、英語jeep音訳、ジープ)

摩托車(摩托、英語motor音訳、モータ)

倍令車(倍令、英語bearing音訳、)

加侖桶(加侖、英語gallon音訳、ガロン筒)

桑拿浴(桑拿、英語sauna音訳、サウナ)

席梦思床(席梦思、英語Simmons音訳、シモンズ)

高爾夫球(高爾夫、英語golf音訳、ゴルフ)

酒吧(吧、英语bar英語、バー)

3、輸入語の多音節語と連語は意訳を通じて表現することが多い。例えば、牛市(英語、bull-market意訳、株式のブル)

白領(英語、white-collar意訳、サラリーマン)

按掲(英語、mortgage意訳、ローン)

4、舶来語の略語はそのまま使う。例えば

AA制(割り勘)

APC(英語「aspirin phenacetin and caffeine」の略語、アスピリン)

誰がピジン語を作ったのか

誰がピジン語を作ったかという問題を追及しようとすると、なかなか難しいと思われる。なぜなら、ピジン語の生まれが160年前に遡らなければならない。言語ということが誰に発明されたものではなくて、労働するときに皆に作り出されたものだと魯迅がそう言った。一人だけで言語を作るなんてありえないであろう。

20世紀20年代、ある漢方薬の薬局で牛の肩甲骨に書かれた変な文字、今甲骨文と呼ばれている最も古い文字が、漢字の誕生の証拠として発見されたように、偶然に発現された百年前のピジン語の教科書としての『英話注解』が皆の好奇心を引き付けるようになった。この本を研究した研究者は他の証拠と合わせてやっとピジン語の創造者は寧波人であることが分かった。今であっても、時には寧波弁からピジン語を聞くことができる。

ピジン語が「寧波邦」にもたらしたもの

ピジン語が寧波人によって作られたものである以上、「寧波邦」は勿論最大な受益者であろう。上海の波止場が開いてから、寧波人はだんだん上海へ移民した。当時に上海で移民として一番多い寧波人は自力で苦労しながら様々な仕事ができたのは、ピジン語のお陰であろう。

「もし当時の社長や有名な人の立身出世の過程を見れば、ピジン語をツールとして非常に役に立った。彼らは例え大金持ちになったとしても操る英語はピジン語であった。」と『人民日報』のもと編集長の範敬宜が言った。『英話注解』という本はわざわざ寧波弁で音声を表記することは、実には寧波の商売人に一番理解しやすくて、「寧波邦」の商人たちに向かう英語のテキストではないかとか考えられる。

そして、当時の状況を見てみよう。

『英話注解』が出版された1860年に、聞き慣れている「寧波邦」の代表的な人物の中で、厳信厚は23歳、葉澄衷は20歳、張尊三は15歳、朱葆三は12歳、呉錦堂は5歳で、宋煒臣と虞洽卿はまだ生まれていなかったので、严信厚と叶澄衷は多分『英話注解』の作者と同じ世代の者、つまり「寧波邦」が伝統商売から近代商派に転化する一代ではないかと思われる。文明度が低い文盲や半文盲は多いことは、この世代の共通点であろう。作者を含め、この世代の人々は正規教育を受けるチャンスは言うまでもなく、英語なんか学ぶことは白昼夢を見るだけである。というと、中国で最も早い正規の外国語学校の同文館は1862 年に創立されたので、その時『英話注解』はもう出版した後二年ぐらいであった。調査によると、20 世紀前に生まれた「寧波邦」の有名人の中で、劉鴻生しかセントジョン大学に一年間だけ勉強しなかった以外、他の人はみんな中級レベル以上の教育を受けた人は一人もいなかった。20世紀20年代以前に誕生した「寧波邦」の中で、ただ何兆豊、李達三、金如新などがセントジョン大学、滬大学、復旦大学を卒業したが、教育を受けた人が極めて少なかった。キリスト青年会の夜間学校に通いながら、独学して英語を勉強する人が多かったということである。従って、「寧波邦」の外国語の知識は主に『英話注解』のような本から獲得したと考えられる。

とにかく、「寧波邦」がピジン語から多くのことを習ったということである。以下の二点を纏めよう。

一つは、外国人と商売する時に便利になったこと。言葉を通じられないと、経営に上手であるとしても、時には相手に食わされることがあるだろう。特に仲介によって商売する場合では、排除や詐欺などのことがなかなか多い。次は、買弁を作るに役に立つこと。「寧波邦」の大手民族資本家は殆ど買弁を作ってから、原始資本と国際貿易の知識を積み重ね始めたのである。

「寧波邦」は外国人と交流し合うため、ピジン語が唯一の道具であった。「寧波邦」はピジン語を作ったその代わりに、ピジン語も「寧波邦」を助け上げたことも事実である。

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